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脳 Brain, No Life(仮)

とあるニューロベンチャー企業の研究員のつぶやきを記録するブログ

推論(1)

わたしたち人間は日々の暮らしの中で実に多種多様な思考や推論を行っています。
誰かと会って話をして意思の疎通を図るという日常的な行為も、考えてみれば複雑極まりない情報処理の賜であることに気づきます。会話の際、私たちは話者に向かい、相手が発する音声に耳を傾け、口調が醸すニュアンスに注意を払いながら、表情やしぐさの微妙な変化にも気を配っています。もともとは空気の振動でしかない音声信号を、文節を持った言語として把握すること自体が脳の驚異的な働きのひとつですが、さらには音声としては発せられなかった言外の意味や相手の感情にまで思いを致し、相手の意図を読みながら現在の会話の何歩か先を見通しつつ、ときに嘘を見抜き、当て擦りを素知らぬ顔でやり過ごしながらコトバを重ね、コミュニケーションを成立させているわけですから、ヒトの思考能力、言語能力が際立って複雑であり、かつ精妙に構築されているものであるということには大方の同意が得られるのではないかと思います。

 

一方で、人間の思考能力が発揮される場面は会話に限りません。話し相手がいなくとも人間は常に何らかの思考をしており、陰に陽に様々な意思決定や判断や問題解決をおこなっていることは、私たちひとりひとりの日々の経験に照らして明らかな事実であると言えましょう。

 

私たちの思考や言語は、他者とのコミュニケーション(情報伝達)の成立を第一義的な目的として進化してきたと言ってしまっても大きな間違いではないでしょう。そのせいか、他者との感情的、情緒的交流の手段としては見事に役割を果たすものの、論理的整合性の観点からは、通常ヒトが行っている推論にはいくつかの穴があることが知られています。

 

それでは、どのような穴があるのか、実例をいくつか見ていくことにしましょう。