脳 Brain, No Life(仮)

とあるニューロベンチャー企業の研究員のつぶやきを記録するブログ

盲視(blindsight)再び:知覚はできないが運動(action)はできる

9/12のエントリーで、盲視の患者の映像を紹介しました。

視覚システムの損傷のために廊下に置かれたモノは「見えていない」にもかかわらず、それらをうまく避けて通る男性患者の映像でした。

http://neuroscience.hatenablog.jp/entries/2015/09/12

 

 

盲視とは、視覚システムの損傷により、モノは見えないにもかかわらず、適切な行動がとれる現象のことを指します。見えていないのに、あたかも見えているかのように行動できるという矛盾に満ちた状態を表現するためにblind-sightという名称がついているのです。

 

盲視については、ウェスタンオクラホマ大学のMelvyn Goodale教授らが行った研究が有名です。

 

一酸化炭素中毒で後頭葉のブロードマンエリアの18野、19野あたりを損傷した、当時35歳の女性D.F.さんが被験者です。この女性は視覚野を損傷してしまったがために、視覚形態失認(visual form agnosia)が生じてしまいました。形や傾き、色や動きなどの知覚がとても弱くなってしまったのです。

 

 

そのD.F.さんにポスト(に見立てた穴)にモノを投函してもらう実験を行いました(下図参照)。

 

http://images.slideplayer.fr/1/186338/slides/slide_11.jpg

 

 

 

D.F.さんは、モノがちゃんと知覚できていませんので、「無理です、できません」と主張します。しかし、あてずっぽうでいいので投函してみたくださいとうながすと、あたかも見えているかのように投函することが可能でした(=適切なアクションをとることはできる)。

 

しかし、「傾きはどれくらいだと思いますか?」と回答させると、実際の傾きからは非常にずれた回答しか得られなかった(=穴の傾きは知覚できていない)のです。

 

目から入った情報が頭頂葉に向かう経路には大きく分けて2つあります。ひとつは一次視覚野を経由するルートで、こちらのルートを通ると、通常の視覚認知のように「モノが見える」という物体認識が成立します。一方、上丘(じょうきゅう)という領域を通って(一次視覚野を経由せずに)頭頂葉に向かうルートも存在します。こちらのルートが、主観的に、視覚的な見えが成立していないにもかかわらず、適切な行動を可能とする仕組みに寄与しているものと考えられているのです。

 

 

参考文献:

Goodale, Melvyn A., et al. "A neurological dissociation between perceiving objects and grasping them." Nature 349.6305 (1991): 154-156.