脳 Brain, No Life(仮)

とあるニューロベンチャー企業の研究員のつぶやきを記録するブログ

ゲームと合理性:人間は合理的でない?(2)

 

つづきです。

 

たとえば、「最終提案ゲーム」では、もし金銭報酬“のみ”を利得と考えるプレイヤー同士が参加するのであれば、2段階ゲームを考えたときに、応答者は1円(1ドル)でも分け前をもらえる提案であれば受諾しますし、提案者は相手に1円(1ドル)だけを分け前として渡すのが「合理的」である、という結論になります。

 

ここでは、下線を引いた前提を見落とさないでください。金銭報酬のみが利得であるようなプレイヤーにとっては、上記のような行動が合理的になるに過ぎないのです。

 

そうでないプレイヤーであれば、たとえば、不公平感を負の効用として感じるプレイヤーにとっては、正の金銭の分け前にあずかれる可能性があったとしても、ひどく不公平な提案については拒否するのが「合理的」になりうるでしょう。

 

(プレイヤーが2人の場合の)じゃんけんの利得表は、ゼロサム・ゲームとして表現され、利得は、じゃんけんに勝てば+1、負ければ−1、引き分けならゼロとされます。

 

しかし、「どうしてもグーで勝ちたい。グーで勝つ以外の勝ちには興味はない」というプレイヤーにとっては、利得表は、標準的なじゃんけんの利得表とは異なってくるでしょう。

 

 

つまり、ゲームの利得表ひとつとっても、プレイヤーの選好(好み)を反映して十人十色ありうるわけです。

 

(この項、つづきます)