映画「ビューティフル・マインド」の中で・・・(2)
一方、ゲーム理論では、互いの行動が互いの満足度(利得)に影響を与えるような状況を考えます。
具体例として「囚人のジレンマ」のようなゲームが考えられます。
プレイヤーの数が2人であるような囚人のジレンマゲームの利得表の例は下記のとおりです。
例えば・・・
表側の選択肢がプレイヤー1の選択肢、
表頭の選択肢がプレイヤー2の選択肢、
各セルの左側の数字がプレイヤー1の利得、右側がプレイヤー2の利得です。
このゲームの結果生じる、利得の組を2次元平面上にプロットします。
プレイヤー1の利得をx軸に、プレイヤー2の利得をy軸で測ります。
そして4つの頂点を直線で結んでみてください。
そのようにして浮かび上がるひし形の内側の領域は、この2人のプレイヤーが「相関戦略」と呼ばれる確率的な戦略を取り合うときに実現可能な利得の組を表します。
まず気づくこととして、囚人のジレンマのナッシュ均衡における均衡利得の組が、左下の頂点であることが挙げられます。
そして少し考えていただければわかるとおり、この利得の組は、「パレート効率性」の条件を満たしていません!
右上の頂点で表されている利得の組(お互いが「黙秘する」を選んだときに生じる利得の組)に移動すると、どちらかの満足度を下げることなくお互いが満足度を上げることができるからです。
つまり、参加者に任せてゲームをプレイさせると、そこで実現される均衡における利得配分はパレート効率性が満たされないことがあるというわけです。
ゲーム的な状況では、プレイヤーたちが互いの戦略を読み合う中で生じる、最適反応の組として導かれるナッシュ均衡において、パレート効率的な利得配分を実現できるとは限らないのです。
(別にアダム・スミスが間違っていた、わけではありませんが、)映画の中で「アダム・スミスは間違っていたんだ」というセリフが指すのはこのことだと思います。映画を見られた方、これから見られる方は、このエントリーの内容を念頭に置いてご覧になっていただければと思います。