脳 Brain, No Life(仮)

とあるニューロベンチャー企業の研究員のつぶやきを記録するブログ

訳語について(1)

 

ゲーム理論で使われる訳語について、すこしお話ししたいと思います。

 

ultimatum gameは、「最終提案ゲーム」もしくは「最後通牒ゲーム」と呼ばれます。語義通りに訳すなら、後者の「最後通牒ゲーム」の方がより忠実な翻訳ということになるのでしょう。しかし、(慎重な)ゲーム理論家は、これを「最終提案ゲーム」と訳します。

 

両者の違いは何でしょうか?

「最終提案ゲーム」は、より中立的な(ニュートラルな)訳語です。

最後通牒ゲーム」は、そうではありません。

 

最後通牒ゲーム」という呼び方は、提案者が、配分案を決め、「さぁ、どうだ、自分の分け前は8、あなたの分け前は2だ。この提案を受け入れるのか、受け入れないのか、どっちだ?」と相手である応答者に最後通牒を突きつけるというイメージです。

 

「最終提案ゲーム」という呼び方には、上記のような攻撃的なイメージは含まれていません。提案者が、配分案を決め「私はこの提案をします。あなたは受け入れますか?拒否しますか?」というよりニュートラルなイメージです。

 

人間は、コトバのイメージに影響を受けることがあるので、科学的な用語としては、よりニュートラルなコトバの方が望ましいのです。

 

(生身の参加者を対象にしたゲームの実験では、「今回、参加者であるあなた(☓☓さん)には、最後通牒ゲームというゲームをプレイしてもらいます」というような教示の仕方はしないと思いますが、)もし、あなたが「最後通牒ゲーム」に参加するのだと思えば、少し攻撃的な意思決定を行ってしまうかもしれません。一方、「最終提案ゲーム」に参加するのだと思えば、攻撃的な感情をやや排した意思決定ができるかもしれません。

 

つまり、ゲームの呼び名によっては、生身の参加者の行動に影響を及ぼしてしまう可能性が否定できないわけです。

 

理論を分析する側も、「最後通牒ゲーム」を分析しているのだと思えば、そのような先入観を持ってゲームの構造を把握しようとする可能性があるでしょう。「最終提案ゲーム」だと思えば、ちょっと見方が変わることもあるかもしれません。ただし、ゲームの均衡を探す方法が、後ろ向き帰納法であれば、分析者がどのような先入観を抱いていようとも、得られる結論は同じなのですが。(これが、理論的な分析のいいところですね)

 

 

いろいろ書きましたが、科学的な専門用語はなるべくニュートラルにするのが一般的です。

 

もしかしたら、そのようにしておくことで、ゲーム実験の参加者や、ゲームを解釈するときのバイアスを軽減することができるというオマケの効果もついてくるかもしれません。