ゲームの最初の実験
ゲームの実験を生身の人間を参加者として最初に行った(と考えられる)のが、1950年頃ランド研究所に所属していたメリル・フラッドとメルヴィン・ドレッシャーの2人の研究者です。
彼らは、2人の参加者に対して、とあるゲームの利得表を提示して、実験を行いました。このゲームは、支配戦略均衡を持つという性質を持っており、利得表が対称でないためわかりにくいものの、今日、囚人のジレンマと呼ばれるゲームと同等のものです。
2人の参加者は、参加者固定の状態で、このゲームを100回くり返してプレイしました。ゲームの利得表はお互いの共有知識であり、しかも、前回の相手のとった行動が両者にフィードバックされるというものでした。
この実験を通して、フラッドとドレッシャーは、参加者がナッシュ均衡戦略以外の戦略をプレイする割合が非常に高いことを報告しています。つまり、ゲーム理論の予測と、生身の人間の行動は食い違うというわけです。
これに対してナッシュは、このゲームは個々の独立したゲームをプレイしているわけではなく、100回くり返しのゲームという(個々のゲームとは)異なるゲームをプレイしているのではないか、と指摘します。
つまり、参加者は、くり返しゲームをプレイしているとみなすべきであるというわけです。(そうであるならば、互いに協調行動をとるという行動が均衡において見いだされることが、ゲーム理論の予測の範疇に入る可能性が出てくるわけですね。)
さて、私は、以前のエントリーとの関連から、下記の点を指摘したいと思います。
フラッドとドレッシャーも、ゲームの構造を参加者の外側から与えているので、ゲームの利得表を見た参加者は、それをいったん飲み込んだ上で、別のゲームをプレイしていたのではないかと思うのです。
実際、フラッドとドレッシャーの実験の記録も残っており、それを眺めていると、純粋に利得を増やすことを目的とするというよりは、「あいつ、裏切りやがったな」「お灸をすえてやらねば」的な、やられたらやり返すという行動が見られます。つまり、彼らは、フラッドとドレッシャーが与えたゲームではないゲームをプレイしていた、という可能性もあるのではないでしょうか?
以前のエントリー
ゲームと合理性(3)
http://neuroscience.hatenablog.jp/entry/2015/12/05/221347
も参照ください。
フラッドとドレッシャーが実験に用いたゲームの利得表は下記URLに掲載されています。
利得表をご覧いただいたら、ゲームの均衡がどこになるか、またそれが囚人のジレンマに類似の構造を持っていることをお確かめいただければと思います。
参考文献&URL:
Roth, A. E. (1993). The early history of experimental economics. Journal of the History of Economic Thought, 15(02), 184-209.
http://web.stanford.edu/~alroth/history.html