ネガティブ・リザルト用のジャーナルがあれば・・・(2)
昨日は、日が変わってからの更新になってしまいました。
失礼いたしました。
前回のつづきです。
1905年になって、アインシュタインは今日、特殊相対性理論の名称で呼ばれる理論を提唱します。これにより、エーテルは存在しないことが明らかになりました。
エーテルの存在を示そうという立場からは、それまでの実験(マイケルソン・モーリーの実験が有名ですね)は、ネガティブ・リザルトの山でした。
しかし、エーテルは存在しないのではないか、という立場からは、それまでのネガティブ・リザルトは、ネガティブ・リザルトなどではなく、エーテルは存在しないという、非常に重要な科学的な結果を示していたとも解釈できるのです。
上記の例に鑑みると、ある実験結果がネガティブ・リザルトであるかどうかは、問題の立て方によるのではないかという気がしてきます(科学哲学の専門家からは、いろいろ異論が出そうですが)。
別の面からも、ネガティブ・リザルトには価値があります。
昨日の架空の例、トマトに血液サラサラ効果があるかどうかという話ですが、「そんな効果はない」ということがわかれば、後進の研究者たちはそこを調べずに済むわけです。トマトには、血液サラサラ効果はない、筋肉増強効果はない、記憶改善効果はない・・・というネガティブ・リザルトがわかれば、それらは深掘りせずに、別の効果がないかを調べればいいわけですね。
私はかねがね思っているのですが、ジャーナル・オブ・ネガティブ・リザルツ(Journal of Negative Results)があれば面白いのではないかと思っています。これまで論文にならなかった実験結果も論文の形になりますし。
ただ、そのようなジャーナルをつくるなら、膨大な結果が出てくると思いますので、オンライン・ジャーナルが望ましいでしょう。
あれやこれやのあらゆるデータが世の中に出てくれば、引き出し問題にも新たな光が当たることがあるかもしれませんね。