脳 Brain, No Life(仮)

とあるニューロベンチャー企業の研究員のつぶやきを記録するブログ

あなごの握り

昨日、午前中の仕事を終え、昼過ぎに帰宅したところ、家の前の道で、喪服姿の父と出くわしました。誰か亡くなったの?と思い問いかけたところ、懇意にしていた鮨屋のご主人が亡くなったとのことでした。糖尿病で療養していたということは以前にも聞いていたのですが、そんな歳でもなかったので、まさか、と少しショックを受けました。

 

子どもの頃は両親に連れられて何度かそのお店で食べたことがあるのですが、ここ20年近くはなんとなく(少なくとも私自身は)疎遠になって、お店に行くことはありませんでした。ただ、自分が仕事をしてお給料をもらえるようになったら、いつか親でも連れて行ってみようという思いを抱き続けていたのです。それも叶わぬ夢となってしまいました。

 

実は、ご主人がちょっと頑固なふうのある、昔気質のすし職人という印象の方で、私にとってはそれが少しばかりお店に足を運ばせない、心理的障壁になっていたのでした。

 

なぜ、それでもいつか行ってみようと思っていたのかと言いますと、そのご主人の握るあなごをもう一度食べてみたかったからです。

 

あなごは、決して僕にとって、とても好きなネタというわけではないのですが、そのあなごは紛うことなき一流の味だったからです。

もっと(おおげさに)言えば、日本一のあなごだったのではないかとさえ常々思っていたのです。

 

私は食通でもなんでもありませんので、いわゆる有名店、高級店の類には縁がないのでもちろん断言はできないのですが、そのご主人の仕込んだあなご以上のものに出会えるとは到底思えない、少なくとも私にそう思わせる逸品でした。

 

おそらくは、あの仕込みの技術は、ご主人の命とともに永遠に失われてしまったのでしょう。

 

 

夕刻、父が帰宅したので事情を聞くと、糖尿病を患っていたのだが、いったん回復してお店も再開していたようです(私はそのことは知りませんでした)。その矢先、心臓発作に襲われて突然に亡くなったのだそうです。

 

おまけになんと父は先週の土曜日にお店を訪れたのだそうです。そのとき、ご主人はとても元気そうだったとのこと。

 

「あのお寿司屋さんのあなごは日本一のあなごだったね、僕はそう思う」と私は喪服姿の父に言いました。

 

父はうなずき、その日、まぐろとあなごを食べたのだと答えたのでした。