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脳 Brain, No Life(仮)

とあるニューロベンチャー企業の研究員のつぶやきを記録するブログ

すこし長めのひとりごと(1)

 

昨日のエントリーを書いていて、ふと、「最近、参加者数が少ない論文を見かけなくなったけど、どういう事情があるのだろうか」と思いました。その感想を膨らませたところ、ちょっと長めの文章になったので、2〜3回に分けてお届けします。まだ最後まで書き終えていないので、どういう内容になるか自分でも先が読めないのですが。。

 

 

前回のエントリーで、JenkinsとDallenbachの1924年の研究について触れました。参加者は2名なのですが、記憶の定着に関する古典的な研究として知られています。思えば、19世紀に行われたエビングハウスによる記憶の研究は、エビングハウス自身を被験者としたN=1(参加者数が1)の研究でした。さすがに実験者と被験者(参加者)が同一で、かつN=1という研究は現在ではまずないと言っていいでしょう(注1)。

 

けれども近年(2000年ごろ)になっても、N=2とか3とかといった少人数で、ただし、ひとりひとりのデータに比較的詳しい分析をおこなった研究は(もっとも権威のある自然科学論文誌のひとつである)Natureにもletter形式で掲載されていました(いたと思います)。

 

最近はN数(=参加者数、サンプル数)の少ない研究はあまり見かけないように思うのですが、N数が多ければいいというわけでもないでしょう。たとえばですが、適当な手続きのもとで取得した大人数のデータより、細心の注意を払って丁寧におこなった実験から得られた少人数のデータの方がしっかりしていたり意義深かったりということは多いと思います。(やはり、実験は計画から教示の与え方、そして実施まで、念入りに細かいところまで配慮して行う必要があると思うのです。当たり前のことですが。)

 

 

注1:

ちなみに、実験者(研究者)=参加者という方法がよくないとは私は思いません。研究者はその分野についていつもよく考えているわけですから、自ら実験をすることによって洞察が深まるでしょう。また、実験目的を知っているにもかかわらず、実験上の効果が得られるならば、その効果はロバストであると言えることがあるかもしれません。

 

 

つづきます。