朝四暮三を選んだサルは非合理的?
朝三暮四の故事を現在割引の考えにもとづいて再考してみたいと思います。
春秋戦国時代の宋、サル好きの狙公が、家計が苦しくなってしまったため、飼っていたサルに食事の減量を相談した。「エサのドングリを朝に3つ、暮に4つではどうか?」と問うと、サルたちはエサが少ないと文句を言う。そこで狙公は「朝に4つ、暮に3つならどうか?」と提案したところ、「それなら文句ない」とサルたちは承諾した。
これが「朝三暮四」の由来になったお話です。
普通、この話は、「目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないこと。また、うまい言葉や方法で人をだますこと。(「デジタル大辞泉」より)」の意味で使われます。
つまり、朝三暮四だろうが朝四暮三だろうがもらえるドングリの数は変わらないのに、言い方を変えただけで日にドングリ7個の提案を受け入れたサルは知恵が足らないというふうに解釈されるわけです。
しかしながら、割引率の考え方を導入すると、見え方が変わってきます。
昨日のエントリーで現在割引価値の計算を行いましたが、これに従えば、朝四暮三の方が朝三暮四に比べて現在割引価値が高いことがわかります。
つまり、このサルたちは、現在割引価値を計算して、早いタイミングでより多くのドングリがもらえる条件を合理的に高く評価したのだとみなすこともできるわけです。
【参考文献】
(朝三暮四の逸話の元ネタはとある経済学者さんの論説か何かで読んだと思うのですが、出典がわからず紹介できず申し訳ありません)