朝四暮三を選んだサルは非合理的?:追記
前回のエントリーについて少々追記をしたいと思います。
追記1
「朝三暮四」については、別の角度から分析することも可能です。朝に多くもらっておけば行動の選択肢を広げることができます。朝に4つもらっておけば、3つでは足りなかったときに、もう1つ食べることができるという選択肢を手に入れられます。そのときに食べる必要がなければ夜にとっておくこともできるわけです。
しかし、朝三暮四を選んでしまうと、朝に4つ食べるという選択肢はなくなってしまいます(前日のモノをとっておくのでなければ!)。
その他、考えどころはたくさんあります。
前エントリーでは朝四暮三をとるのは、現在割引価値の計算からは理にかなっていると述べました。
ただ、朝四暮三を選んで、朝3つだけしか食べなかったときに、残りの1つを(夜まで)とっておくことにかかるコストはどれくらいなのか、などを考えると単純にいつでも朝四暮三が得とは言えないのかもしれません。
みなさんもいろいろ考えてみてくださいませ。
追記2
主観的割引率の大きさはそのヒト(や個体にとって)の個性なので、その大小自体がそのヒトの合理性や人間的な価値を決めるものではありません。
たとえばですが、割引率が大きい=現在重視=キリギリス的でけしからん、というような価値判断を含むものではありません。
余命1年の宣告を受けた不治の病の患者さんにとって、今日を精一杯生きることはとても価値があることです。一方で、2年後3年後のことは考えても仕方のないことかもしれません。つまり、余命1年の患者さんはとても割引率が大きく(割引因子が小さく)現在重視の日々を送ることになるのです。それを良くないことだと考える人はおそらくいらっしゃらないことでしょう。