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脳 Brain, No Life(仮)

とあるニューロベンチャー企業の研究員のつぶやきを記録するブログ

ゲームと合理性:人間は合理的でない?(3)

(つづきです)

 

しかし、実験を行う場合には、あらかじめゲームの参加者の内面(つまり選好)まではわかりませんから、実験者側からいわば押し付ける形でゲームを与えるしか仕方がありません。

 

本人の選好構造と異なるゲームを与えられたとしたら、プレイヤーは(合理的であるかどうかは別として)ゲーム理論の予測どおりには行動しないでしょう。

 

たとえばですが、標準的なじゃんけんの利得表を念頭におけば、グー、チョキ、パーそれぞれを1/3の確率で出す(という混合戦略をとる)のが最適な戦略ですが、グーで勝つことにのみ価値を置くプレイヤーはグーを出す確率が非常に高くなるでしょう。

 

つまり、実験者が(実験上のいわば勝手な都合で押し付けた)利得表なりゲームの構造が、プレイヤーである参加者にとってのゲームの構造と都合よく一致することはまず有り得ず、結果として、参加者の振る舞いもゲーム理論からの予測からズレてしまうはずです。

 

なので、たとえば最終提案ゲームを、生身の人間におこなわせて、その結果がゲーム理論の予測なるものと食い違ったというときに、それは、人間がゲーム理論で考えるような合理的な存在ではないことを意味しているとは限りません。

 

プレイヤーは、ゲームの利得表を受け取った後で、それを念頭には起きつつも、実験者の意図とは異なる構造のゲーム(プレイヤーにとっての「本当のゲーム」)をプレイしていたのかもしれません。その「本当のゲーム」の観点から見れば、参加者の行動はゲーム理論が予測する「合理的な」行動なのかもしれないわけです。